議論で想いがみえるには。
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議論、とは
例えば、新しいことを導入するのかしないのか。
それを議論する、というと。
賛成・反対の立場で対立して、それぞれがその正当性を述べて説得しようとする、と なること、多いと思うのです。
ひどい場合は、相手の立場に「いかに問題があるか」「いかに『正当でない』か」を突きつけ合う状態になることも。
(わたしには、この日本の国会がそう見えることが多いな(。-_-。))
同じ想いと違う気持ちを場に乗せること
賛成か反対か、に目を奪われるのではなく。
ということを、先日 同席した あるミーティングで目の当たりにしました。
感動した(*^^*)
「チームをこういう状態にして、安心して進みたい。ここまでは同じだね。で、あなたは導入することでチームが安心を得られると思っていて、わたしは導入すると不安や怖さを感じる。」
そして、その怖さの素を一緒に見る。
怖いままでもいい。怖いまま、どうするか。
怖さを解消できることもある。一人で背負ってしまっていた荷物を減らしたり、何かを明確にすることで「わからなさ」から来る不安が消えたり。
そうして、「合意」による決定にたどり着いたとき、本当に素晴らしいなぁと思った(o˘◡˘o)
「多数決」や「論破」でない、この決まり方がとても好き♡
それが可能だということは、明るい希望だ!
自分の想いも相手の想いもそのまま場に乗せる。
鍵はここだと思う。
もちろん、それができるだけの 安心感とつながりのある関係性の中で。
議論というのは、もっと複雑で難航することもあるかもしれない。
それでもわたしは、この明るい希望を信じていたいな。