チームのよさがみえる会議

「自然に心を開きあうことができて、心の深いところと深いところでつながり合える」 それが自然に起こる場を。 ともに何かを創ろうとするチーム・組織の中にこそそんなつながりに満ちた関係性を。 そう願うチィ&いほこのブログです。

「チームの想いがみえる会議」ってすごくないか?って最初に思ったときのお話

これは、今から2ヶ月ほど前。

「チームの想いがみえる会議」について話を聴いたときに

わたしが感じたことを綴った文章です。

 

その頃わたしは自分が「チームの想いがみえる会議」を

チィちゃんと一緒にやっていくなんて

まったく想像していなくて、

ただただ「おもしろい!すごい!」と思って書いたものです。

 

何かとてもいい感じがする!と思ったことを

2ヶ月前のわたしは、必死に文章で表現しようとしています(笑)。

 

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友だちのチィさんがやっている「チームの想いがみえる会議」

今までは「これはすごい!」って感覚のみで捉えてたんだけど、
先日深く聴きたくなって、いろいろお話してもらった。

それで、わかったこと。
私なりに捉えたことを書いておく。
話を聴いて熱くなったから、その熱量のままで(笑)。


チームっていうのは、まず様々な役割があって
それを誰が担っていくのか?と
「すでにある役割に」人や想いを当てはめていく、
というのが私がこれまでに抱いていたイメージ。

 

でも、この「チームの想いがみえる会議」は違うのだ!
『このチームにおいて自分はどう関わりたいのか』
『どんな関わり方をしたいのか』
それをまず明確にして、チーム全体で共有する。


それから、

じゃあこの役割ができるかも!とか
できないかも、とそれぞれが力を発揮できるところで
無理なくやっていくことを
全体で共有していくのだ。

 

これってすごくないか?


例えば私は、事務作業が好きで得意(だと思う)。
イベントを例にした場合、
具体的にできることは、

・申し込み受付(キャンセル対応も)
・メールの送受信
・名簿作成
・リマインドメールの作成・送信
・入金確認 など

普通だったら、すでにある上記のような役割がまずあって
「じゃあ、この部分ができるからやります」
もしくは
「私の立場だとこういうことをやるはずだからやります」
ってなる。

 

でも、この「チームの想いがみえる会議」を通すと

私が上記の役割を好き(得意なのは)
『全体の流れを見渡すことができて
 参加者の方の全体のイメージをメールなどで掴むことができて
 そして個々の参加者の方と繋がる感覚があることが好きで得意』
だということがわかる。

 

であれば、私のそういう想いを表現できることを
実際の役割の中でやればいいのだ。
それは、もしかしたら上記の役割以外にも
・それぞれの担当者の人のサポート
・イベント開催時の受付
などがあるかもしれない。

 

そう考えると、この「チームの想いがみえる会議」をすると

自分の力を発揮するところが自然にわかる、できる

ことになる。

 

そんな感じでチーム全体の役割を考えていく。

 

そうしたら、みんなが無理なく自分の力を躊躇することなく
発揮できることになるのだ~
これってすごくないか?

 

そこで、誰もやらない役割が出てきたらどうするのか?
という話があるのだけれども
そうしたら、これまたうまいことできていて
「じゃあ今回は、誰もいないならそこをやるよ」って
ことになる場合もあると思う。

 

すでにある役割に自分をあてはめるのではなく

自分の力を発揮できる場所に、

自然にあてはまっていく。


これはいろんなチームにおいて
成り立つことだと思う。
そしてそれが成り立っていくのを見たいぞー(笑)

 

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実感!「チームの想いがみえる」

数日前、「チームの想いがみえる会議」のチームメンバーのいほちゃんとミーティングをしました。

いつものとおり、「わたしたちが大切にしたいこと」がくっきりする時間。

そして、具体的なこれからの動き、作っていくもの、考えること、がワクワクもりもり湧いてきて、それをほくほくした気持ちで持ち帰りました♡

 

その日。

わたしたちチームにおいて、「チームの想いがみえる」を実感したことがありました(●´ー`●)

少し長くなりますが、書いてみますね。



帰り道にわたしの中に起きたこと

わたしは、何かアイディアを見つけると、それを「すぐ形にしたい!」という衝動が起こる。

他のアイディアも出してみて、吟味して、選ぶ…というアイディア自体がなくて(笑)、すぐに形にするためのあれこれを考え出すのです。


その日のミーティングで、ひとつ、「これやろう!こう進めよう!」と決まったことがあったのだけれど、わたしは帰り道にふと不安になったのです。

 

「いくつかのアイディアを吟味したわけでなく、○○案を進めることにしてしまったけど、良かったのかな?」

って。

 

そして、「その中で流れるように いほちゃんがある役割を担うことになったのだけど、いほちゃんの中に違和感はないかな?」

って。

 

ひとりで突っ走っちゃったんじゃないかな?

という不安ですね(●´ー`●)えへ

 

それが湧いたとき、わたしはすぐにいほちゃんにこれをそのまま伝えました。

そして、いほちゃんにまったく違和感はなくて、その案を「やる」が大前提になっていたんだよ!というお返事をもらいました。



台にポンと乗せるということ

こういうちょっとした不安を、なんのストレスも思い切りも要らずに、チームの中央に(わたしといほちゃんの間に)ある台にポンと乗せることができる。

それに対して、メンバーが「こう思ってるよ」をポンとまた出せる。


これができる空気感、文化があると…ほんとーーーーに、時間やエネルギーのロスがなくなるなぁと思います。


「わたしだけが突っ走っちゃったんじゃないか?」

「いほちゃんは本当はそんなにやりたくないんじゃないか?」

…なんてことを思いながら進めるのはブレーキ踏んでるのと同じだもんね。


「今さら この案やりたいかどうか確認するなんて、あんな勢いよく進めておいて どう思われるだろう?」

…なんて思って、確認するのをためらっている時間も、ムダだもんね。


でも実際、いろんな組織において、こういうことって とても多いと思う。

わたし自身も、(他の場で)そういうこと たくさんあります(*_*)


この、なんでも「チームの中央の台にポンと乗せる」ができることのスムーズさ、そして安心や満たされた気持ち(そういうチームにいることの喜び)。

それらは、チームそのものがよりイキイキとより良いパフォーマンスをあげていくことにつながると思うのです。



さらに。

そしてこの話には続きがあって。

わたしの「思いついたものをすぐに形にしたいところ」と、いほちゃんの「思いついたものをしっかり吟味するところ」をお互いにあらためて認識できた。


そして、それぞれのその資質を変えずに、ので、組み合わせることで いい感じに進めていけるよね、と実感したのでした(o˘◡˘o)

それぞれのそのままの特性を活かして役割を分かち合う。

それも、「チームの想いがみえる会議」で大切にしたいことです。

そんな、「チームの想いがみえる会議」モニターチーム募集中です☆


どの範囲に心が動くのかは、ひとによって違うと思う。

こんにちは、チィです。

以前、Twitterでこんなことをつぶやきました。
(そうなのですよ、Twitterやってたのですよ)

今日は、この自分をあらためて実感した話です。



その彼を通して支援したい。

さて。
熊本は大きな余震が続いていますね。
とても怖いだろうなぁ、と胸がギューッとなります。
早く収まりますように。

数日前から、今わたしに何ができるかな、と考えていました。
熊本のことが気になりながらも、SNSでさまざまな情報や支援の呼びかけを目にしながらも、何もできずにいました。

そんなところに、昨日、ある知人が支援に向けて動いていることを知りました。
彼の想い、そして想いだけではなく力強い行動をしていることがありありと伝わってきました。

わたしは、その彼を通して九州を支援したい。
そう思いました。
彼が被災者の方に届ける愛がイメージされたのです。
彼に託せることを嬉しく思いながら、少額だけれど支援金を振り込みました。
それはもう、衝動的な行動でした。


この自分の心の動きを、後からしげしげと眺めてみたのです。



想いや熱意をそのままみたい。

わたしの心が動くとき。
そして行動が引き出されるとき。
それは、顔のみえる人の想いがみえたとき、なのです。
直接知っている人かどうかは関係ない。目に見える範囲のことだと「感じられる」かどうか。

このとき、「目に見える範囲の自分事だと捉える『べき』だ!」というニュアンスが、ほんの少しでも感じられたら、もうダメなのです、わたし。
誰かの発信にそれが入っているように感じたときも。
わたしの中に「そうする『べき』なんじゃないか?」が生まれてるときも。
シューッと気持ちが冷めてしまう。
(めんどくさい人かもしれませんね…汗)

でも、ただまっすぐにその人の想いや熱意を感じたら、わたしはとても心が近くに引き寄せられて、行動をすぐに起こしたり、そこに結構なエネルギーを投入したりする。
わたし自身、そのときのわたしが好きだし、行動もエネルギーの流れも起きるわけで 誰かに役立つ可能性も高くなる。


自然に世界的な視点を持っていたり、目に見える範囲よりも広く大きく良い影響を生み出すことを意識していたりする人もいる。
今回、熊本の支援の行動をしている知人もそういう人です。
(それも、使命感と愛に溢れる、とても大きな器の。)

わたしは、そうではない。
そして、このままでいい。

わたしがしたらいいことは、人の想いや熱意にいかに心を開くかということ。
『べき』を心に住まわせずに、壮大な視野がないことへの劣等感に支配されずに、ということかな。
これは、わたし自身のために。

そして、人の想いや熱意がそのままみえる場をつくること。
視点の違い、どんなときに心が動いて力を発揮するのかの違いが そのまま尊重される場。
そして、それぞれがより自然に力を発揮することを引き出す場。

やっぱり、それを、したいのだ。
ひとの力が合わさり、足し算でなく掛け算が起こるために。

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「チームの想いがみえる会議」との出会い

 

こんにちは、いほこです。

チィちゃんとチームになってから、初めての投稿です。

今日は、「チームの想いがみえる会議」との出会いと

そこからのわたしの想いの移り変わりについて

お話ししようと思います。

 

 

「チームの想いがみえる会議」

この言葉を初めてきいたとき、
わたしは「おお!なんだかすごく良さそう」と思いました。

理由はない(笑)
後付けでならいくつも考えられるけれど
そのときは「惹かれる」という感覚が大きかったです。

そのときわたしは、明確にどこかの「チーム」に属しているわけでは
なかったのですが
「わたしや、チームで動きたい人たちが
 この会議を通して、チームがより良くなるのをみたい」
と思ったのです。


そしてこの「チームの想いがみえる会議」を
考案&ファシリテートしているチィちゃんに
わたしが知りたいこと、聴きたいことなど
いろいろと質問を投げかけました。


「チームの想いがみえる会議」ってなに?
それがわたしの出発点です。

そしてチィちゃんとの対話の中で
この「チームの想いがみえる会議」を必要なところに届けるために
わたしの理解した内容でわたしの言葉でも伝えることができる
伝えてみたいと思ったのです。


わたしは基本的に「書く」ということが好きですが、
この「チームの想いがみえる会議」については
なかなか書くことが難しく、今まで書くことができずにいました。

それはまだ受け取っているもの、イメージしているものが
ぼんやりしていた、ということもありますが、
なによりチィちゃんの想いに反していたらどうしよう…という
気持ちがあったからです。
自分だけのものではない、大切なものだから
もし違ったことを書いてしまったらどうしよう…と思っていたのです。


でも、そんな想いもそのままに
チィちゃんとの対話の中で、
わたしたちのチームの真ん中にある台に載せてみたら、
なんだかするするっと動き出したのです。
(そうそう、わたしたちも2人で
 実際に「チームの想いがみえる会議」をやっています~)

そうして今、外に向かっての発信をし始めました。


不安もある、心配なこともあるし、怖い気持ちもある。
楽しみな気持ちもある、やってみたい気持ちもある。

それらをそのまま、伝えたいときに、話したいときに
チームの真ん中にある台の上に載せたら、
私の場合、不思議なことに行動へとつながっていったのです。

不安な気持ちがなくなった?
ううん、今も「わたしのすることがこのチームに沿ってなかったらどうしよう?」って
ふと不安になることがある。

心配な気持ちがなくなった?
ううん、「これでいいのかな?」ってふと思うことある。


でも気持ちを想いを、台の上に載せることはあまり怖くなかった。
ちゃんとチームメンバーで、ただ見ることができて
ただ受け止めることができるってわかっていたし
そこを信頼していたから。


それがこの「チームの想いがみえる会議」の土台だと
わたしは思います。

チームメンバーと安心感、深いつながりを感じられていること。

そうしたら、たとえいろんな気持ちがあったとしても
行動に移すことができる。
行動ができなくても、なにかがするっと動く。

そんなことを実感しました。


そんな
「チームの想いがみえる会議」を自らも体験していっているわたし
いほこが、
これからいろんな角度から、お話をしていけたらいいなと
思っています。

よろしくお願いします。

 

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チィの「ここに熱い!」その2

チィです。

「ここに熱い!」の話の二つ目、書きます☆
 
ちなみに、その1はこちら。
 
 
 

○○○○○で、役割を担う。

 
チームメンバーそれぞれが、「好きなこと」や「心動くこと」や「気づいたら自然にやっていること」などの、そのままのその人らしさを大切にすること。
 
本当にそれを大切にして、役割を分かち合ったら、社会はうまく回るんじゃないかな、と思っています(o˘◡˘o)
 
これが、二つ目の、わたしの熱いところ。
 
その人にとっては、とても自然なことで、普段 意識していないことだったり。
ただ好きなだけのこの気持ちが何かに役立つだなんて これっぽっちも思っていなかったり。
 
でもそれは、実は存分に活かすことができるもの。
 
 
その人らしさで、役割を担うには。
まず自分の好きなことや自然にできること、心動くことに目を向けること。
それに気づき、受け止めてみること。
そして、それを活かした役割を、暫定的にでも担ってみること。
(やってみて「やっぱり違った」ということもあれば、「これぞ自分の役割だ」と確信を持つこともあると思います。
どちらだとしても、その気づきを大切にして進むと良いと思うのです)
 
 
それぞれの人の、その人らしさがみえたとき。
それを本人が、「これがこんなに喜ばれるのだ!」「チームにこんなに役立つのだ!」と受け止めたとき。
 
そんな瞬間(想いがみえる会議の中で、よく見られます♡)、わたしのニヤニヤ テカテカ度は、ぐーーーん!と上がってしまうのです(●´ー`●)
 
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それぞれの人の役割の違いと、違うからこその それぞれの視点・意見が尊重されることは、チームの可能性を広げることになると思う(o˘◡˘o)
 
そうだ!
わたしはやっぱり、それぞれの人の「良さ」を祝福したいのだ!
 
 
 
 
そして、先に仕事(役割)ありきで それを分担するのでなく、それぞれが自分らしさで役割を担う(創る)ことは、チームにとってとてもパワフルな推進力になるのではないかと思っています。
 
もちろん、「こういう仕事を担う人がいるといいよね(でも担いたい人がいないね)」という状況も出てくる。
そんなときでも、わたしは、それぞれの「その人らしさ」を大切にすることは諦めたくないな(●´ー`●)
 
それを大切にすることは手放さずに、物事が前に進むには?をチームで考えたい。
そのチームメンバーの顔ぶれだからこその方法に たどり着きたい。
 
 
前の記事(熱いところ その1」で書いた「土台」に家を建てるとしたら。
この「その人らしさで役割を分かち合う」は、柱かな…梁かな…
とにかく、チームを支える大事なところなんじゃないかな、と思っています。
 
あー書きながら また熱くなってしまった☆
気づいたら結構長い記事になってました!
最後までお読みいただき ありがとうございます( ´ ▽ ` )ノ
 
 

チィの「ここに熱い!」 その1

チィです。
4月に入り、娘の誕生日(7日で2歳になりました)のお祝いなどでバタバタしていました(え?)

そんな中でもチームメンバーのいほちゃんと、対話を重ねています(o˘◡˘o)
先日、久しぶりに、数時間たっぷりとミーティングができました(*´艸`)

お互いの役割が これまでよりも研ぎ澄まされたり。
何に心が動くのか、だからどこを見ていくのか が明確になったり。
これから具体的に動いていく道筋が見えてきたり。
いつまでにどんな状態にしたいね、と目安が決まったり。

頭の中がシンプルになり、大切にしたい理念をつかみ、これからが楽しみになる、良いミーティングになりました♡

ミーティングをしながら自分たちが感じることも、これからさまざまなチームに届けていく「想いがみえる会議」に活かしていきたい(o˘◡˘o)


さて、日々の出来事とミーティングを経て、再認識した、わたしの「ここに熱い!」が二つありまして。

まずは、そのうちの一つを書いてみます☆



わたし自身が○○○○かどうか。


「想いがみえるチーム」にとって、チームメンバー同士が安心感と深いつながりを感じていることが、大切な土台だと言えると思っています。

感じていること、思っていること、選択の背景にある想いやその人らしさ…
それらを、ただチームの真ん中にある台の上に載せることができる安心感。

載せるのに「思い切り」や「ドキドキ」が要らない、いつでも取り出してポンと置ける安心感。
それがあることが、とても大切な土台だと思うのです。

土台となる、(そのレベルでの)安心な場。
それはやはり、わたしが約4年開き続けてきたワークショップ「あなたの良さがみえるcafe(良さcafe)」の空気感そのものなのだ、と思いました。

その場がその空気感になっているかどうか。
その空気感のことを、良さcafeでは「よさよさ」と呼んでいます(●´ー`●)

それはつまり、わたしがよさよさで在るかどうか、とも言える。
よさよさな空気感と、だからこその人と人との深いつながりに心震えるわたしでいること。

究極、それだけでいいのではないか?と思ったのです。
その空気感があるから起こる素敵なことは、あくまでも起こった結果として捉える。
素敵なことを起こそうとしない。

場が、そしてわたし自身がよさよさかどうか。
それがわたしの大きな役割なんじゃないかな、と思っています。

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これが、熱いところ その1。
その2は、また別の記事にて〜( ´ ▽ ` )ノ



まず、自分の気持ちをつかむ

チィです。
今日、あるミーティングに一員として参加しました。
それをきっかけに、そして派生して感じたり考えたりしたことが たくさんありますが、今日はその中のひとつを(o˘◡˘o)


自分の気持ちにモヤがかかっているままで誰かと話し合いをするって、人と人の間にもモヤがかかりやすくなって当たり前だなぁ、と思うのです。

ミーティングにおいて、何よりもまず、今の自分の気持ちをつかめたらいいなぁ。
それも、気負わず自然に、簡単に(*^^*)

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「チームの想いがみえる会議」では、自分が何についての気持ちや関係性を見つめればいいのか、ということが明確になってるんだな、と気づきました。
(たぶん、そうじゃないとファシリテーターのわたしが耐えられないから。笑)
 
おそらく、問いをシンプルに置いている。
 
 
うん、そうなのだ。
まず自分が自分を見つめるときの簡単さと安心感。
 めちゃめちゃ大事にしたい。